彡(゚)(゚)「江戸が燃えとる、このままじゃ囚人焼け死ぬなぁ……せや!!」

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1: 風吹けば名無し 2021/06/01(火) 01:01:44.95 ID:iHfrKF680
彡(^)(^)「独断で囚人逃したろ!!」

石出帯刀(石出吉深)1615年-1689年
1657年明暦の大火(10万人が死んだと言われる)に際し
このままでは囚人が焼け死ぬと考え無断で手斧を使い牢屋を破壊

石出帯刀

石出 帯刀(いしで たてわき)は、江戸幕府伝馬町牢屋敷の長官である囚獄(牢屋奉行)の世襲名。

歴代の石出帯刀のうちで最も高名な人物が、石出吉深(よしふか、号を常軒。元和元年〈1615年〉 – 元禄2年〈1689年〉)である。明暦の大火(いわゆる振袖火事)(明暦3年〈1657年〉)に際して、収監者を火災から救うために独断で「切り放ち」(期間限定の囚人の解放)を行ったことにより知られている。吉深は収監者達に対し「大火から逃げおおせた暁には必ずここに戻ってくるように。さすれば死罪の者も含め、私の命に替えても必ずやその義理に報いて見せよう。もしもこの機に乗じて雲隠れする者が有れば、私自らが雲の果てまで追い詰めて、その者のみならず一族郎党全てを成敗する」と申し伝え、猛火が迫る中で死罪の者も含めて数百人余りの「切り放ち」を行った。収監者達は涙を流し手を合わせて吉深に感謝し、後日約束通り全員が牢屋敷に戻ってきたという。吉深は「罪人といえどその義理堅さは誠に天晴れである。このような者達をみすみす死罪とする事は長ずれば必ずや国の損失となる」と評価し、老中に死罪も含めた罪一等の減刑を嘆願、幕府も収監者全員の減刑を実行する事となった。

この処置はのちに幕閣の追認するところとなった上、以後江戸期を通じて「切り放ち後に戻ってきた者には罪一等減刑、戻らぬ者は死罪(後に「減刑無し」に緩和された)」とする制度として不文律の慣例化されたのみならず、明治期に制定された旧監獄法による明文化を経て、現行の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律にまで引き継がれている。なお、旧監獄法時代には関東大震災や太平洋戦争末期の空襲の折に、実際に刑務所の受刑者を「切り放ち」した記録が残されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/石出帯刀

引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1622476904/

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Source: 不思議
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