【唖然】山口・光市母子殺害、再審認めず 広島高裁、大月死刑囚(38)請求

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【1999年】山口・光市母子殺害、再審認めず 広島高裁、大月死刑囚(38)請求

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1: みつを ★ 2019/11/07(木) 20:27:18.03 ID:7Ms6zBTi9
山口・光市母子殺害、再審認めず
広島高裁、大月死刑囚請求

1999年の山口県光市母子殺害事件で、殺人や強姦致死罪などに問われ、死刑が確定した大月孝行死刑囚(38)の再審請求を広島高裁(三木昌之裁判長)が退ける決定をしていたことが7日、分かった。弁護団は最高裁に特別抗告する方針。

 大月死刑囚は2012年に死刑が確定。弁護団は同年「殺意や強姦する意図はなく、死刑判決は不当だ」などとして再審請求したが、広島高裁が15年10月に棄却。弁護団が異議を申し立てたが、同高裁は今月6日付で棄却する決定をした。

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光市母子殺害事件

光市母子殺害事件とは、1999年4月14日、山口県光市内の新日本製鐵光製鐵所社宅アパートで発生した殺人事件。 当時18歳1か月の少年Fにより、主婦が殺害後屍姦され、その娘である乳児も殺害された上、財布が盗まれた少年犯罪である。Fは殺人・強姦致死・窃盗の各容疑の罪状で、刑事裁判で裁かれた。

被害女性の夫であり、被害女児の父である会社員男性・本村洋(もとむら ひろし、1976年3月19日 – )は、犯罪被害者遺族として、日本では「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感し」、同様に妻を殺害された、元日本弁護士連合会副会長・岡村勲らと共に犯罪被害者の会(現・全国犯罪被害者の会)を設立し、幹事に就任した。さらに犯罪被害者等基本法の成立に尽力した。

また、裁判の経過中、本村は死刑判決を望む旨を強く表明し続けてきた。例えば2001年(平成13年)12月26日に行われた意見陳述の際にFに対し「被告人Fが犯した罪は万死に値します。いかなる裁判が下されようとも、このことだけは忘れないで欲しい」と述べている。また一審判決後には「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」と発言していたが、二審判決に際しては「裁判官も、私たち遺族の気持ちを分かった上で判決を出された。判決には不満だが裁判官には不満はない」と発言し、犯罪被害者の権利確立のために、執筆、講演を通じて活動をしている。

光市母子殺害事件

引用元: 【1999年】山口・光市母子殺害、再審認めず 広島高裁、大月死刑囚(38)請求

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Source: 不思議
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