■時は明治、「ド級」ショックが世界を駆け巡る
旧日本海軍の戦艦「金剛」は、海戦の主役が「戦艦」から「空母」へ移った太平洋戦争においても、ほかの戦艦に比べ実に多くの場面で運用されたといえるでしょう。当時すでに古参艦といえる艦齢を重ねており、建造されたのは明治から大正にかけてのイギリスでした。
日本が初めて挑んだ対外戦争、日清戦争で勝利したのが1895(明治28)年のこと。それから10年後に起きた日露戦争では、世界中が注視するなか、大国ロシアに勝利し、各国の度肝を抜きました。この勝利の一因となったのが、かの有名な「日本海海戦」で、これにより日本は一躍、海軍国として名を馳せるまでに至ったのです。
このとき、日本国内でも戦艦の建造はできるまでになっていました。実際、日露戦争終結前後に起工された薩摩型戦艦2隻(「薩摩」「安芸」)は、横須賀と呉の両海軍工廠で建造されました。しかし、この薩摩型戦艦を建造中の1906(明治39)年に、イギリスは「ドレッドノート」という革新的な戦艦を就役させ、建造中だった薩摩型戦艦は竣工前に早くも旧式の烙印を押されることになったのです。この影響により、1907(明治40)年に建造が決まっていた「金剛」は、イチから計画やり直しとなります。
当時は、まさに軍艦、特に戦艦の建造ラッシュでした。イギリスがその大きさも攻撃力もけた違いな戦艦「ドレッドノート」を建造すると、その流れに拍車がかかり、「『ドレッドノート』と同じくらい凄い」ド級戦艦や「『ドレッドノート』を越える能力を持つ」超ド級戦艦が次々と造られるようになっていきます。
日本もその流れに乗って、「『金剛』をド級戦艦に!」「いや超ド級戦艦に!」と揉めた挙句、計画は変更に変更を重ね、予算が通ったのは計画立案から3年も経った後のことでした。
■イギリス艦「金剛」日本へ
ようやく計画が動き出した「金剛」は、イギリスの造船会社ヴィッカースで設計・建造されることになりました。明治以降、イギリスを含め諸外国で建造された軍艦を輸入してきた日本でしたが、この「金剛」がその最後の軍艦となり、以後はすべて日本で建造されるようになります。
イギリスで造られた「金剛」ですが、その建造に対して、日本は少し無理なお願いをしています。「『金剛』の建造に当たり、日本人の技術者を派遣し、工事の一切を監督、調査する。またすべての図面を日本は入手し、同型艦は日本で建造する」つまり、「作り方を教えてくれ!」ということです。
本来であれば、独自技術を盗まれるわけですから、なかなか通りにくいお願いです。しかし、ヴィッカースはこの申し出を快く受け入れ、さらに2番艦以降の鉄などの材料の調達までしてくれました。このできごとは、以後の日本の造船技術の発達に大きく貢献したとされています。
1912(明治45)年5月18日、「金剛」の進水式はイギリスで行われました。イギリスでは艦首でシャンパンボトルを割るのが通例ですが、日本式にくす玉を割り、鳩を飛ばしたところ、イギリス人は大いに喜んだといいます。
こうして「金剛」は1913(大正2)年8月16日に竣工し、南アフリカ喜望峰回りで同年11月5日に横須賀へ到着しました。
乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/85780
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こういう功績艦だったからか。
「こんごう」のパンフレットに先代「金剛」の略歴が乗ってるけど
太平洋戦争中最も活躍した戦艦って書かれている
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「金剛」は日本の戦艦で唯一、潜水艦による雷撃で沈んだ艦
航空魚雷じゃない
金剛四姉妹に戦績で敵わなかったんだよな
金剛四姉妹だけ巡洋戦艦だから山岳名
浸水しやすくなるんだと
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巡洋戦艦というアイデアがユトランド海戦で終了してしまってたことには言及してほしかった
つーか、ベイやん沈めたのは金剛だったのか。
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30ノット出せるから機動部隊の護衛が務まるし
巡洋艦が中心の遊撃部隊でも旗艦が務められた
その有能さと古さ故に馬車馬のように使いまくられたが
ほぼ最後まで生き残った榛名は本当にすごい
近代化改装時には榛名、比叡、霧島は楽に加工できたけど金剛の本家製鋼板はなかなか穴が開けられなかったらしい
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ヘボ艦長だとすぐ沈められるというよ。
大砲なんて20センチもあれば充分、攻撃の主力はあくまでも航空兵力
それを一番よく理解してたのが日米双方だったのにね
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元スレ:http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1556807647/
Source: mindhack
30年以上戦い抜いた旧海軍最後の「帰国子女」、戦艦「金剛」の生涯がこちら・・・