それ表面やと思うんや
if(navigator.userAgent.indexOf(‘iPhone’) > 0){
document.write(”);
} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
小説で努力ってあんまりぴんと来ないな
才能の世界や
室からして違うんや才能ある奴は
小説の場合、努力というかトレーニングやチャレンジのやり方を知らんやつがほとんどな気がする
流石に十冊くらい書けばそこそこのノウハウは身につくやん
まあ小説一本完結させられる時点で才能と言われればそれまでなんだが
if(navigator.userAgent.indexOf(‘iPhone’) > 0){
document.write(”);
} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
でもスポーツって変な世界やと思うで
ルールがかっちりしてランキング制やから才能と努力が同列に並んでしまうんや
せやから量の差やとみんな勘違いする
芸術を見ろや
質の違いだって分かるやん
議論に入る時は自分の前提にある状況を伝えないと齟齬が生まれるで
いやスポーツこそが例外なんや
数値で測られるのが例外なんや
if(navigator.userAgent.indexOf(‘iPhone’) > 0){
document.write(”);
} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
これはあるわね
幼少期にいっぱい運動してたら身体能力も高くなるし
絵を描きまくってたら絵が上手くなるし
そういう下駄をはかせる的思考は量の話やな
ワイが考えとる才能やない
でも世間一般で言われてる才能ってこういうことやない?
それが間違っとる思うんや
一般にセンスと呼ばれるものに近いなワイの言いたいことは
if(navigator.userAgent.indexOf(‘iPhone’) > 0){
document.write(”);
} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
なるほど…それ測るの難しいわね
そう
量的な観点からはなかなかとらえづらいんや
測る、という言葉がそもそもそうやしな
輝きというかもっと目に見えないもののことを言いたいんや
それは性根の問題では?
if(navigator.userAgent.indexOf(‘iPhone’) > 0){
document.write(”);
} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
>>16
こういう定義論争が一番くだらないと思うで
内村航平とか初めて鉄棒に触れた瞬間にコバチ成功させたし
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} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
オペラの声楽は努力の世界
っていうたら分かりやすいか?
ノーベル賞、IQ130以上あればそれ以上はあってもなくても大して変わらん
みたいな話がある
幼少期教育による才能やしな
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document.write(”);
} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
具体的に言えや
ワイの小説の師匠の言葉によると
「ほかの人が思いつかないことを思いつく能力」のことやな
例えば絵画やデザインやったら色選びのセンスとかそういうのちゃうかな?
知識と応用で似たような事はできるけど、それを即座に選び取るんはイッチのいうところのセンスやと思うわ
色々やってると磨かれてくるやんな
まあ変な方向に行くやつも時々おるけど
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document.write(”);
} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
でもそれは本質やないやろ?
なんで量的に差異が出るのか、才能だから、では答えにならんやろ
なんでを突き詰めるには質的な思考が必要なんや
1聞いていくら知るかやからな大切なのは
ただ復唱して覚えるだけのやつ
自分の知識と照らし合わせて補完し合うやつ
違和感感じて疑問を覚えるやつ
色々居るやろ
そこや
その習得プロセスのどれが才能(センス=一部にしかできないこと)でどれが努力(全員がコミットできる方法)なのかを論じたいんや
1聞いてどれだけ想像するかが才能ちゃう?
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document.write(”);
} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
膨大なケーススタディとか事例を頭に叩き込んでパターン化していてって場合もあるぞ
あそこまでなろう小説臭いことはないし
なんでりんごで例えるのか意味不明やけど
実際センスのあるなしってあんな感じやで
天啓とか他人が思いつかないようなとか言う意味での純粋なセンス型って
ラマヌジャンぐらいしか思い浮かばんわ
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} else if( navigator.userAgent.indexOf(‘Android’) > 0 ) {
document.write(”);
} else {
;
}
力づくで外そうとするのが凡人で
力をもっともっとアップさせて本当に力づくで外しちゃうのが努力
正しい外し方で外すのが才能や
これならわかりやすいか?
それを探すのも努力ちゃうか
知恵の輪見た瞬間何通りか外し方思いついて
それのいくつかが正しい、ってのが才能やと思うで
いや
才能がないと力づく以外の方法を思いつけないんや
思いつく、というのがキーワードやで
上に行くために努力が必要ってのも間違ってない
元スレ:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1550744865/
Source: mindhack
才能と努力ってよく論争になるけど